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zoom RSS 男ごころ、役者ごころ -桜舞い桜散る『壬生義士伝』-

<<   作成日時 : 2011/07/12 14:55   >>

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画像男は桜。
人生所詮は夢、人間最期が花。
勝つため生まれてきたのなら命振り絞り、
咲いて牡丹と言われるよりも、散って桜と言われる
「強い」「サムライ」でありたい。…って、か、かーーっこいい。
けど……かーーっこよすぎる。
それ、ほんま、ほんまにそうありたい?
生きたくない?!みっともなくても、おめおめとでも、生きたくない?!

むっかしいところですがな。

「かっこつけたい」「かっこつけねばならない」トコと、
「本心」「本音」「情」トコとって。

それは言うなれば「ゲンジツ」と「情」、
これをベタな言葉で言うと「義理」と「人情」。(?!)

これまで日本では(って言うと話がデッカイなぁ。笑)、
むかーしの考え方、当たり前の考え方では「義」を立てるってのが当然で、
それが模範・理想・正しい・当然だった。「咲いて牡丹」<「散って桜」のが偉くって。

でも、死にたぁなんて、なかない? 
生憎本日未熟者でも、おろおろとおめおめとでも、にこにこへらへらでも生きたくない?

もちろんそれは己のためでもあるけど、大事な人、守りたい人がおれば、
人から何を言われたり思われたりしても、生きたい、生きたい、生きたい。

それって格好悪い?

うん、ぶさいく。

それよりも、スカして、かっこつけて、かっこつけきって、ウソでもバリッとしてた方が格好いいのかもしれない。

けれど、生きたい、生きたい、人のため、守るもののため、
家族のために、生きたい生きたいって、生きてる姿は、弱いけど、弱いようだけれど、「強い」。

もしかしたら、カタチ、表面をかっこつけきって、キマりきってるかっこいい者よりも、
ナカミって意味では本当に「強い」のかもしれない。
己の弱さみっともなさを知ってるから、知ってるけど、
でも、「それでも」生きてる姿は、ほんまに、ほんまもんの強さ、かもしれない。

そして、その男は、実際、強かった。剣も立った。

そして、大事な者のために、生きたい生きたいってブサイクに生きていたのに、
そんだけ「まっすぐ」だったから…散った。自ら、散った。
散りたくないけれど、最後は、散ることを選んで、
立派に、んーんブサイクで、みっともなく、でも、それでも立派に散った。

その姿は、それもまた「男」、男の一生。 おとうちゃん、で、だんなさん、で、でも「士」な男の一生。

ってな「おはなし」、映画(やドラマ)で有名なその「おはなし」、
『壬生義士伝』を、大衆演劇…義理と人情…という言葉は嫌いだけれど、
「かっこつけたい」「かっこつけねばならない」トコと「本心」「本音」「情」トコ…
つまりそれは言うなれば「ゲンジツ」と「情」…を舞台の上からもナカミからも
滲ませ、表現し、見せて魅せてくれる「生活」=「舞台」なほんに魅力的な舞台で、

キザッキザ!もうキザッキザ!過ぎて、
時に笑ってしまうほど、カッコのいい、カッコよすぎてズルいくらいの役者さん、
キザすぎて、だから、逆にそこが人間臭い、
ほんまに「人間」を舞台に表現しはる“芝居の鬼”(笑)が、主演したのを観ました。

以前はその役…主演とちゃうかってんで。

そのお隣の「かっこつききってる」「キマってる」役を演じてはって、
それが、びびるほどに、痺れるほどに、(主役よりも)格好良かったの。
あっぱれ「物語の芯」って感じの、デカいデカい役だったの。

けど、主演。

へらへらしてて、おめおめとしてて、でも、ナカミ「まっすぐ」で「強い」。

人間臭く強いその役は、九州男児ではなく盛岡から脱藩してきたという設定でしたが(笑)、

シーンによっては「ちょっと立派すぎる」「この役にしては格好良すぎる」っていう、
オーラゆえに不利(笑)が生じるほどでしたが、ああ、もう、めちゃくちゃに人間臭く。

なぜだろう、キザでキマッタ演技なのに、なのに、どうしようもなく人間臭く。

「男」ってものを、「人間」ってものを、
描ききりはったように、表現しきりはったように見え、
改めて、この役者さん「紅あきら」という役者さんの「格好良さ」を、味わせてくれたようでした。

紅さんは、「男」やけん。(※茶化してません!!)

そういや、「花は紅、男はあきら」ってフレーズ、よく、使ってはりましたよね。(ん?今も?)

格好つけたくて、でも、生きたくって、
どうしようもなく、自分のため、大事なひとのために生きたくって、けれど「まっすぐ」、「まっすぐ」ゆえに、散って…。

けど、「南部の桜は石を割って咲く」。

人は桜、男は桜、役者も客も桜。人の一生桜のよう。パッと咲いてパッと散る。

けど、そんな桜は、きっとそれゆえ、強い。石すら割って、咲く強さ、持ってるん。

夢のようで、でもゲンジツで、虚実皮膜で、舞台=生活な、そんな大衆演劇の舞台、
そこでの芝居『壬生義士伝』は、それゆえ、大衆演劇ゆえ、ワシには魅力的でした。

それは、ほんまに、「男」の芝居、でした。

まだまだ咲くで。姥桜やで。桜舞う季節を数え、君と歩いていくで。
紅の花やで。んーん、「役者」やで、「人間」やで。これが「男」だ、これが「役者」だ、花と竜。(※関係ない?!笑)

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ワシは「おにぎり」って小道具が好きってか、ええな、効いてるなぁって痺れました。
「食うこと」、生きるためには食わなあかん。食うためには、動かな(働かな)あかん、稼がなあかん。

そんな「おにぎり」をクライマックス直前で差し出す人、その2人のあのシーンが今回、好きでした。
…のは、ワシが今差し出した役の役者さんを面白がり、好いているから…というだけの理由ではありません。笑

でもワシ、この芝居の吉村貫一郎も、
斎藤一(ワシがむかしっから新撰組でいっちゃん好きなんこのひと。明治まで生きたこの人)も、
おしづさんも、大野次郎右衛門(ええ役よなぁー)も、皆、好きです。皆、「桜」、咲いて咲いて、散りはってんなぁ、って。

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父と子、役者と役者 -『壬生義士伝』-
父と子ってのは、父と子だけれども、 でも役者としては、ずっと、永遠にライバル? いや、最初は、父と子は師と弟子、なのだろう。 けれども、ある日、ひとつの芝居で、 長い長い年月からしたらその“一瞬”で、 父と子は、父と子だけれども、 役者として、ほんまのライバルになれる?! そうしてそれから、さらに切磋琢磨して、 お互い、より、いい「役者」になってく、輝いてく…。 それって…父からしたら、 父と子として、でも役者として、 すごく、嬉しい瞬間なのではないか。 1本の芝居... ...続きを見る
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