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zoom RSS 優しさ弱さ、生きてく強さ、その人だからこその伊三郎〜ある『上州土産百両首』〜【そのB】〜

<<   作成日時 : 2015/03/06 11:03   >>

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さて、そんなその日その劇団の『上州土産百両首』について
イントロ代わりの【はじめに】から@Aと続けてきましたが、
シリーズを終える前に、最後にどうしても書いておきたいことと人が居ます。
いや、書いておきたいではなく、書いておかなければならない、欠かせない。
それはスリだった頃の牙次郎と佐次郎の兄貴分である蝮の伊三郎。 
その伊三郎を演じる見城たかし(紅劇団・後見)。
見城たかしの伊三郎。
この役抜きにこの劇団のこの芝居は語れない。
この人抜きにこの劇団のこの芝居は成り立たない。
と、書くと目が眩んでの主観と思われ説得力無いかもしれない。
この人こそワシが注目してずっと追っている役者さんだから。
けど、でも、この芝居にはこの人。この人はこの劇団。この劇団にはこの人。
言い切ります。

伊三郎(原作では三次)という役は
劇団によってはあまり重要な役処とされていないところもあるかもしれません。
単なる敵役、悪い役と思っている人も多いかもしれません。
スリから足抜けした牙次郎と佐次郎と、ひとり役人に捕まった伊三郎。
島から帰ってきて料亭で板前となった佐次郎に会って金を強請ります。
佐次郎から百両の金を受け取り
「お前から金が出なくなったら次は牙次郎からとる」と告げ、
牙次郎の将来を守る為と佐次郎に刺されてしまいます。
いわゆる敵役です。

けど見城たかしの伊三郎を観ている思わされます。
特にその日(前記事・前前記事参照)のこの芝居を観て改めて思わされました。

「この人は確かに敵役かもしれない、けれど悪役なんやろうか?」

その日昼の部の伊三郎はやたら吠えていました。
吠えるというより噛みつくように威圧して脅すワルと言うべきでしょうか。
本人曰く「キレやすい系でいってみた(笑)」
昨年5月の博多で観た際は血の底を這うような苦汁を舐めた暗いワルでした。
ごっつ印象深くて「あんな声色出せるねんな」
「よぉけ観てきたけど初めての感じかも」言うたけどきっと覚えてはらへんやろうけれど(笑)
面白かったので「夜はどんな系?」と聞いてみたら
考えながらもニヤリとしながら「大将(紅あきら)の佐次郎次第」と返って来ました。
そして迎えた夜の伊三郎はワシにはこう見えました。

「訴えかける系」

脅すんです、強請るんです、佐次郎を。
そう、どうしようもないやつなことには変わりないんです。
けれどワシには泣いているように見えたのです。
泣いてへんけど、なんだか、腹の中で。
もうどうしようもなくて、腹の底から訴えかけるように見えたんです。
見てみろよ、これこの着物、島から帰ってきて俺はこんななりだ。
腕には罪人のあかしの墨だ、どうせこの先の人生だってろくなもんじゃない。
それに比べてお前はどうだ、花板だ、店のお嬢さんと結婚だ。
金くらいって言ったら本当に百両の大金を女将さんが何も言わずに貸してくれた。
そうかそれほどまで大事にされているのかと。
なんとまぁ素敵な事実を知り、己が身を鑑みての、その悔しさやるせなさ情けなさ。
だから腹から叫ぶ、叫ぶと言ってもデカい声出すのではない、訴えかける、
どうしようもない現実を、「見ろ、見ろよ」、俺を、「ほら!ほらよぉ!着るものだってこんな!こんな!」
そして金を貰い、喜ぶ、喜ぶというより当然だ、俺は貰って当然なのだ、
さぁ、まだまだ貰うぜこれからも、お前から出なくなったら次は牙次郎だ―

どうしようもない。
けれど、こいつは悪いんやろうか? ほんまに悪なんやろうか?
弱かったんやないやろうか。もっと言うと優しくもあったんやないやろか?
優しくて、そして、それ故、弱かったんやないやろか?
強くて、でも弱く、弱くて、でも強かったんやないやろか?

序幕で役人に引かれてゆく時、
牙次郎と佐次郎が仲間かと聞かれた伊三郎は
「あんなフヌケた野郎仲間でもなんでもねぇ」と鼻で笑います。
「(役人の責め立てで)石を抱かされたってオレぁ吐かねぇぜ」とまで言います。
それはずっとこの道でワルしてきたプライドからなんやろう。
けれどそれ以外にも、この人、二人のことを、どっか、思っていたんやないやろか。
二人の弟分に何かしらの絆と「三人の仲」みたいなもんも感じていたんやないやろか。
その佐次郎に、綺麗になって、まっとうな道を歩きだしそいつに言われた、
「ガジの笑顔を覚えているか」「お前を殺してでもあいつを守る」
見城伊三郎の口からは(きっと思わず)
「オレは牙次郎好きじゃねぇんだ」「殺せるもんなら殺してみろ」
綺麗事なんかクソ喰らえだとでも言うように。
そして、刺される。その際の無念さ極まりない断末魔、
腹から絞り出すような声と表情(かお)、美しい『若者たち』の歌詞とメロディーが流れる中!
刺された瞬間、目を見開いたこの人伊三郎は一体何を思ったのだろう。訊いてみたい。

そんな伊三郎を演じるその人はワシが注目しずっと追っている役者です。
日本と大衆演劇が一番元気で熱かった頃、東で天下を獲りいい目を沢山見てきた。
いやその前に10代の頃に華やかな芸能界にデビューして歌を数曲、筋金入りの芸の人だ。
役者になり、天下を獲って、流れ、流れて、揉まれ、揉まれて、今は東じゃない地のトップじゃない位置にいる。
関東からここに骨うずめようと覚悟を決めて来た、大事な人たちの為、
もう若くはないとわかりながら決断し、さらに若くはなくなったけれど
この「舞台=生活」の世界で自らの芸で食うて食わせて生きている。
そのプライドがニコニコ温和な表情の中、ギラリと光る、時折、怖い位、殺気のように光り、射る。
その人の伊三郎はだからこそ、怖く、深い。
この人のこの役なしにこの劇団のこの芝居は成り立たない。
この人なしにこの劇団は成り立たない。
人間の美しさと汚さを全て見てきたのであろう、
そして弱くなってしまったのであろう、その人の目、その目の人の伊三郎。
・・・大きいなぁ。

伊三郎を刺した佐次郎はその後彼と同じように堕ちてゆく。
弟分牙次郎の為とは言えやったことは人殺し、
最後、神様の粋な計らいで牙次郎に会うことが出来たけれど、行く先は獄門台、因果応報だ。
でもきっと、この人たちは皆悪いんやなく、どちらも、優しかったから弱くなっただけ。
伊三郎も佐次郎と同じように優しい人でこうなってしまったには訳があり。
皆理由がありそれぞれに想いがあり、最後は皆同様にあちらに行く。
百両のお金をせびった伊三郎を殺した佐次郎は首に百両の金がかかる罪人となり、
その罪人を捕えるのは会いたかった牙次郎。
運命と人は廻り廻って、廻り廻ったお金、百両のお金は、「本当の強さ」を持った牙次郎の手に入る。
その情けの捕り縄を引き、引かれ行く二人は道中、巡礼さんに会い、約束の御守代わりの一文銭をご報謝する。
百両よりも大事な一文銭を、でも、それはただのお金や、カタチやと渡す。
これできっと輪廻転生、二人はきっと次生まれ変わる時は本当の兄弟で、
でもきっと、近くに近い縁で伊三郎も居るはず…とは、ワシの勝手な祈りかな(笑)
でも、あっちで会った佐次郎と伊三郎は「ちっ」て言いながらも結構仲良くやってると思うんです。
天の上から牙次郎と一緒に見て見守り「あいつホンマに」「ったく」なんて言うて、
うっといけど一緒に還ってくると思うんです、二人+一人、三人で。
百両を求め、百両に泣き嗤った二人+一人の三人は最後、神様の一文銭で来世も戻ってくる。
芝居の世界の彼も彼らも、それらを演じる彼も彼らもそうしてずっと生きてゆく。
プライド持って、優しく強く、儚く逞しく、生活=舞台を生きてゆく―
お金なんてカタチやねん。お金はお金やけどお金だけやないねん。
生活=舞台やけれど、生き甲斐やねん、プライドやねん、生き様やねん―

夜の部、芝居終わりの前売り券販売の際、まず先に「どうやった?」と訊かれました。
でも、ワシ、何も答えられませんでした。結局「何系」だったかも訊けませんでした。
その代わり、考えて考えた末に無言で手を出しその場で何度も握手しました。
あまり褒めたりええ事ばかり言い過ぎると目ぇ眩んでるだけと思われ説得力ない。
好かれたいからといいことや褒めばかり言って役者をアホにはしたくない。
今更何言ったらどう話したらええか、こういう時、てか、もう、今、全然、わからない(笑)
でもワシ、“伊三郎”に訊きたいこと山ほどある。
いや訊かなくてもいい。その目が訴えかける物を受け取り続けたい。
その目から感じさせてもらいたいこと山ほどある。
神様にはとうていなられへんが、「腐れ縁」の中、ずっと見て、追ってみたい。
他のどこでもなくこの劇団で、ここに居るこの人を、ここで見たからこそ、
って、そんな真面目なことうまいことちゃんとよぉ言われへんしもう言わへん(笑)

翌日のミニショー後の休憩時間、
客席で紅あきらとこの芝居について、
そして大衆演劇というもののありかたについて少し話す機会がありました。
普段何を言っても「あんたはあいつのファンやけんねー!けーっ!(笑)」
(※けーっとは言いませんがそんなニュアンス。笑)
だからワシも「あー!はいはい!そんなこと言いますか!いやそうですけどね!
そうとしてだけしか見てくれはらへんならもういいですー!(笑)」。
そんな“紅センセー”と久々少し(笑)
“紅センセー”は長年の友であり今は部下でありでも一生のライバルのことを
本当にいい表情(かお)で言うてました。
「昨日はケンチャンもホント良かったけんね。うん、あの役は他の人には叶わん。一番」
「うん。ワシもそない思います」
「(けーっ&ニヤリ)」&「(ふふん&ニヤリ)」。
う〜ん、まだまだ、ワシの「道」はまだまだ途中、みたい。
怖い兄ぃたちに近づくにはまだまだ“ナカミ”が足りない、
悔しいけれどやっぱまだまだ、追い甲斐ありそう、楽しいな。





■omake■
この記事内容に際しても過去記事、少し。
【橋、そこに立つのは一人のおっちゃん-「見城たかし」と云う役者-】(2013/11/01 )
【橋のたもとの女とその役者と私-『戻り橋暮色』の笑顔-】(2013/07/22)
【ある「お徳」のお話 -大衆演劇の「お徳」、大衆演劇と「お徳」-】((2013/08/13)

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いい芝居とは〜My Dear, 大衆演劇、役者さんとお客さん〜【はじめに】
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