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zoom RSS 桃的、大衆演劇の芝居の話-・・・からの(やはり)大衆演劇讃歌-

<<   作成日時 : 2016/10/08 20:10   >>

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芝居の話をしよう。
芝居論など語るのは好きじゃない。
評論家気取りは粋じゃない。
自分の好きな物=良い物とするのはあまりに狭い。
【大衆演劇に「いい芝居・悪い芝居」はない】
【「好き嫌い」はあっても「いい・悪い」はない。全ては主観、好き嫌い】
これはあるベテランの教えだが、深い、本当にその通りだ。
それでも私が大衆演劇の芝居について語りたくなったのは
時にとんでもないくらい凄ぇ物に本当に出会えることがあるからだ、出会えたからだ。
だから、大衆演劇がたまらないからだ。

仲間内からは「厳しすぎる」、役者からは「欲張り」とすら言われる。

まず気になるのは役の割り振り(配役)。
「役壺に合う」という言葉を教わった。
見た目や、年齢や、雰囲気や・・・つまりはニン≠ニいう言葉に等しい。
私は板の上に居るすべての役者・・・無理だけど、
主要メンバーが「役壺」(年齢や見た目や雰囲気などニン=jに合った役であって欲しい。
けれど「ウチはどんな芝居でもオールオーケーな人数とバランスです!」という劇団は少ない。
毎日日替わり、少なくとも一か月30演目以上要る、全てでパーフェクトは難しい。
座員の男女比や年齢にはばらつきがある。
(近年特に目につくやたらめったら人数揃わぬまま突然旗揚げするの、影響大)
さらに大衆演劇に付き物の「序列」は芝居の配役にも関係してしまう(座長、副座長、順に主要な役だとか)
特に座長、いや役者はオールマイティな役をこなせてこそ、とされる、皆、本当に努力しておられる。
昼夜ともに観てもらいたいと「矜持あるサービス精神」から役を入れ替えたりする素敵な劇団も結構ある。
(これは劇団の役者皆に勉強の場を与えたいという前向きな気持ちもある)
けれど私的には、ごめんなさい、役壺に合うてないと最後まで入り込めない、見えないし、見れない。

ワガママ?傲慢?いいえ。と、言いたいし言う。

役を入れ替えたり既存の芝居を「俺が」演じるとなれば
既存の芝居でも只物語のあらすじを追って通して演じてゆくだけにはならないだろう。
俺が演じる。ならその役は変わるはず。なぞるだけでは不自然や理屈に合わんことが出てくる。
既存の芝居を俺や俺の劇団でやるのならば役の設定やもしかして筋まで変わって当然やない?
もしくはどうしても「出来ない」(やりたくても)芝居もあるんやない?

次に、演じ方。
私的に「演じる」また「成り切る」という言葉はしっくりこない。
先のベテラン曰く「成り切る、でも、演じもする」、嗚呼、これだと思う。
敢えて私の簡単な言葉にすると「同化」がまだ近いか。
お客さんなんか放ったらかしなくらい物語(おはなし)と役に入り込んでおり
けれど入り込んではいても「離見の見」で何%か客と客席の反応を感じる余裕も持って、
日々鍛錬した役者として人間としてのナカミ≠ナ演じ、生きると―本当に「生きる」。
ナカミ=Aそれは舞台における役者力は勿論、
それまで培ってきた(ワルいことも含めてすべての)「人間力」いや「人生力」とでも言いたいナカミ=B
ナカミ≠ェ役にすぅっと「同化」し、
さらに「見せたい」「巧く見られたい」「俺!俺!」など過剰な自意識も漏れることなく精進すると
登場人物が「=役」に見える見えてくる。
するともうそこに居るのは「そのひと」、
物語の中の人であり、役者であり、どっちもであるけどどっちでもない、どっちでもないけどどっちでもになる。
虚の世界の「役(物語の中の人)」と実の世界の「役者(現実を生きている人)」、
両者が一緒になってその瞬間「生きる」・・・気がする。

そうして役を自分のモノにして
自身のナカミ≠ゥら繰り出された「台詞(きもち)」で演じるもとい「生きて」いると・・・
やっぱり、既存のスタンダード芝居は変わるはずだ。
大筋は一緒なんだけれど大筋は残ったまま変わる。その劇団の、その時の、唯一無二の作品となるはずだ。
(「ただ筋と台詞を追うだけ・・・で、はい、幕」にはならない、それは、たぶん「手抜き」だ)
そうして、生きて、消えるのだ。消えるけど、残るのだ。
劇団と自身の矜持として残り胸を張って客と向き合えるようになるはずだ。

これが究極、これが理想、いいえ、私が好きな芝居。
傲慢。けどこうあって欲しい。大衆演劇は。大衆演劇だからこそ。
そう、「生き物」、日々が舞台、舞台が人生、そんな大衆演劇の芝居だからこそ。

なかなかである。

ナカミ=E・・舞台における役者力は勿論、「人生力」「人間力」。
これは年齢経験関係なく皆の一生の修行だもの。
役者だけではない私たち人間全ての一生の目標であり鍛錬であり勉強だもの。

でも出会えるのだ。出会ったのだ。
たった13年の大衆演劇歴だが幾らか。
役壺に合うを通り越し「生きて」いて本物となり、そして消えて行った。が、私の中に残っている。
(特にどこの何とは書かない。ベスト何などランク付け点数付けは私は好きではない。
何かだけを持ち上げ絶賛するのも好きではない)
さらに去年、私はその究極に出会った、出会えた。
「大衆演劇の全てが詰まっている」いや「人間の全てが詰まっている」と思った。
本当にゾクゾクした。言葉じゃなく生きてきてよかったと本気で思った。「これ!」と思った。
どんな芝居も通り越して映画や文学やそんなもんより「凄ぇ」とすら思った。
幼い頃から(良くも悪くも)芝居と本で感性を培ってきた、
そうして書くことで生きてきた私が13年前、
大衆演劇という虚実皮膜の人間讃歌の舞台≠ニ出会い面白がり
勝手にライフワークと決めたその大衆演劇で、その大衆演劇だからこそ。
ある意味ゴール。しあわせ。このことで「大衆演劇の芝居とは」を考えるきっかけをもらったのだ。

冒頭、芝居の話をしようを書いた。しかし、違う。
芝居と人間の話をしよう。大衆演劇の話をしよう。やはり、これかな。

いい芝居悪い芝居はない。それはあなたの好き嫌いで、あなたはあなた、私は私、それでいい。
けれど、だから、いい芝居はいっぱいある。
あなたにも人生に残る芝居(出会い)が絶対あるはず、これからもあるはず。

だって他でもない、「大衆演劇」だもの、大衆演劇の芝居だもの。

やっぱり芝居は面白い。大衆演劇は面白い。

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
お久しぶりです。
究極の2本が何なのか、とっても気になります。
劇場で見かけたら、是非、こっそり教えてください。
かずら
2016/10/09 01:21
こんばんは、御無沙汰しております。
忘れず楽しみにしていてくださってとっても嬉しいです。
「大衆演劇も小劇場も!」な同志ですもの、ネ。

ええ、是非。是非ですよ。
そして前々からお約束している通り、どこかの劇場でお会いできますように。
いつもね、不思議と似たルートなことが多いんです、辿ってゆかれる劇団などが。
だからきっといつか必ずお会い出来る気がします。(実は今月例の日も悩んでいます←笑)
私的究極の2本はかずらさんが辿られているルートの延長線上…
と言っても過言ではありません。楽しみにしています。

桃⇒かずら様
2016/10/13 20:21

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