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zoom RSS 心とからだ-大衆演劇、明日のための芝居のはなし-

<<   作成日時 : 2017/01/20 01:53   >>

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よく耳にします。
「大衆演劇がダメになっている」「旅芝居の神髄たる芝居を大事にするべきだ」
よく目にします。
「楽しければいい」「ウチの劇団(自分の好きな劇団)「は」凄い」
想像します。私も思います。
「昔は良かった」「昔の大衆演劇は「芝居」だった、昔の芝居は良かった」
けれど私たちが生きているのは「今」だ。
向き合いたい。向き合いましょう。
―大衆演劇、明日のための芝居のはなし。

大衆演劇の「芝居」についてずっと考えてきました。
旅芝居の神髄は芝居だ。なのになぜ大半はこんなに面白くないのだろう。
ストーリーが破綻しているものが多いから?
理屈に合わないご都合主義のものが多いから?
座長(主役)が格好よいということを見せるためで筋がない芝居も多いから?
そんなことが気になるのではありません。
日替わりで演目が変わる大衆演劇の芝居は
1本の芝居のために時間とお金を使って稽古を重ねてという他の演劇とは違う。
板の上すべての皆にハイレベルな演技を求めるのは酷だ?
そういうことでもないのです。

大半のストーリーがイマドキではないことでしょうか?
確かに多く描かれるテーマは親子の情などお涙頂戴の人情物もしくは絶滅危惧種の任侠男ism。
うん、全然イマドキではありません。
けれど私はだからこそ好きです、肚の底から「ええなあ」と愛しく思います。
なぜなら旅芝居の芝居たちはカタチこそ旧時代的だが根底に流れるテーマは時代を越えても変わらぬ「心」、
おおきくまとめると他者(自分ではない相手)を想う心≠フ大切さ、
旅役者たちは芝居を通してその「心」を伝えてくれます。
だからこそ大衆演劇の芝居は時代を越えても継がれ残ってきて、
「定番」として大衆に愛され続けていると私は思います。

なのに・・・最近の芝居はなんだか≪ちぐはぐ≫に見えてなりません。
そのなんだか≪ちぐはぐ≫さこそ
私が大衆演劇の芝居を観ていて「面白い!」と思うことが少ない理由、
心の底から震えるものが少ない理由ではないかと思うようになりました、辿り着きました。

時代を越えても変わらない大切な大切な人間の「心」、他者(自分ではない相手)を想う心=B
それを芝居で表現する旅役者たちは
いわば「心」を継ぎ、継がせ、継いでゆく「語り部」のようなものだと思います。
なのに、でも、今、多くの役者が「自分のことば」として伝えられていないように見えるのです。
継がせ、継いできた「心」とそれを表現する「からだ」がぴったり来ておらず≪ちぐはぐ≫に見えるのです。
セリフは気持ち、セリフは「心」、なのにただ「セリフ」を言っている(読んでいる)だけ。
「気持ち」ではなくただの言葉やただの文字として舞台にあらわれて消えてゆく。
それでも物語(おはなし)は筋通りに進んでゆき、決まった筋通り終わります。
カタチとしての芝居は演じられ、とりあえず幕は閉まります。
が、≪ちぐはぐ≫。
いいセリフでもセリフだけがいい、セリフだけが浮いている、そのひとと合っていない。
いい内容の芝居でも、役者が追いついていない、筋だけが流れてゆく。
皆とは言いません、けれど私には今の大半の役者が劇団がそう見えて、だからグッと来ないことが多いのです。

じゃあ、グッと来る瞬間って?芝居って?

私にとってのそれは≪溶け合い、生きる≫ように見えた瞬間やそんな芝居です。

芝居を演じる際、よく「成り切る」という言葉が使われます。
でもね、私の理想はちょっと違っていて。
敢えて言葉を選ぶなら「溶け合う」という感じでしょうか。
物語(おはなし)の中(の人物)と役者のナカミ=i感性と人間性)が、ふ…っと、自然と。
職業としての旅役者、毎日が舞台で舞台が生活で毎日の舞台が人生、
だからこそ役者として人間として日々いわゆるワルいことも経験を重ね生きる生きてゆくことそのものが勉強。
そして板に上がればその日その日の芝居と役(や曲の中の主人公や情景)に「寄り添う」という言葉が近いか?
役に自分を、もしくは自分を役に近づけるというかスッと寄り添うようにする(想像)。
すると物語(おはなし)の中(の人物)と役者のナカミ=i感性と人間性)がふ…っと、
自然と「溶け合って、生きる」ようになる瞬間があるように見える気がするのです。
毎回出来ることじゃない、意識的にやって出来ることもあるし、無意識でなることもあると思う、
コントロール出来ることもあれば、出来ないこともあると思う。
その日の板の上の共演者や客席の雰囲気や体調や心境、そんなものによって、ふ…っと。
まるで男と女のその時≠ンたいな。
その瞬間。
私には物語(おはなし)の中の人物たちが瞬間本当に「生きた」ように見えるのです。
実と虚、物語(おはなし)が舞台に、舞台で、本当に「生きた」と感じるのです。
そんなとき「これが大衆演劇の芝居の面白さではないか」と思います。
そしてそんなとき私は「どんな芝居よりも大衆演劇の芝居が、大衆演劇の芝居だからこそ面白い」と思います。

≪ちぐはぐ≫ではなく、ふ…っと。自然と、≪溶け合う≫ために。

どうすればいいのかなあ。

考えたとき、大切なのは「柔軟さ」と「相手を想う気持ち」なんじゃないかなあと思うようになりました。

芝居って、たぶんセッションなのではないかと思います。
筋はある、設定はある、役はある。
ならばその日の板の上の者たちがその日の客席へ向けて臨機応変に柔軟に
座長(バンドマスター)を中心にしたまるでセッションとなるのが理想なのではないかなあ。
同じ板の上に上がっている者同士が呼吸(いき)をみて、
合わせて、投げ合う、掛け合う、転がす、自由自在に。ガチガチではなくもっと自由に柔軟に。
それはきっと遊びというのは違うが、矜持をもった大人たちの遊び、物語(おはなし)遊びのようなもの。
先人たちはそうしてきたのだと思います、自由自在に、まるでジャズのセッションのように。
旅芝居の芝居は台本芝居ではありません、書いている芝居ではありません。
最近は台本芝居も増えてきましたが、
けれどそんな台本芝居も含めても
旅芝居の芝居とは書いたセリフによる芝居とは本質的に異なると思うのです。
旅芝居の芝居とは先人たちが口立てで伝え継がせてきた
その劇団のその日のその舞台でかけられるための芝居です。
先人たちがテーマやメッセージを込めた「物語魂(ものがたりだま)」、
その気持ち(セリフ)を「球」として転がす、受ける、返す、投げる、掛け合う。
「心」を演じるもとい伝えるのは今を生きているあなたとあなたたちで届ける先は今観にきてくれている観客。
板の上で神経を研ぎ澄ませ、研ぎ澄ませながらも楽しみ、同じ物語魂を運ぶ同士に「受ける、返す」、
そして「投げる」、客席に届くようにするため相手に届くように。
あるいは芝居って、たぶんセックスなのではないかと思います。
ハウトゥやノウハウではなく、「私とあなた」。
その日の雰囲気、その日の心、その日のからだ、相手の気持ちや様子、表情や反応。
ひとりじゃない、自分ばっかじゃイケナイ。自然と、溶け合い、一緒になれない、一緒に生けない。
むかしから継いできた芝居を今の舞台に「コピペ」してるだけでは「物語魂(ものがたりだま)」は死んでしまう。
ひとつの外題を毎月1回やってくるルーティンワークとして
ただ各自が口から決められたセリフを出しそのセリフたちが連なった流れ芝居となっては
いずれ形骸化し演る側も観る側も楽しめぬものになりかねない、その芝居は死んでいるも同じかもしれません。

舞台上と客席皆が≪役者≫のWhat a wonderful world でTop of the world、
大衆演劇は「心」と物語魂の舞台だと私は思います。

面白い芝居が観たいよね。面白い芝居を演りたいよね。

「心」を残したいよね。

感じたいよね。

生きましょう。


■omake■
よろしければこんな記事も。

【大衆演劇、「これから」のために、楽しむために -ある『カラスの仁義』から-】
http://momo1122.at.webry.info/201612/article_2.html

【桃的、大衆演劇の芝居の話-・・・からの(やはり)大衆演劇讃歌- 】
http://momo1122.at.webry.info/201610/article_3.html

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
私は大衆演劇はを観始めてから2年半くらいしか経っていなくて、
多分、昔を知りません。

多分、小劇場も似たようなタイミングで、
昔の方が凄かった。みたいな話を何度も聞きました。

でも、なんとなくですが、
『今』を観て、素敵だな、素晴らしいなって思う気持ちの方を優先させたい気がします。

劇場に足を運んで、それを伝えたら、
きっと、もっと素晴らしいものを長く見れる可能性がほんの少しくらいは増えるんじゃないかって気がして、
それは大衆演劇が続いていくものだから、なんだと思います。


かずら
2017/01/22 17:21
かずらさん。
よくわかります。
よくよくよくわかります。
同じことを思います。
同じ思うことをやさしくあったかく言って頂いたような感じです。

次にそんな記事を書こうか書かまいかと思っているところなのですが
いやずっとずっとこう訴えているのですが
これからの大衆演劇を創ってゆくのは今の役者さんと
そして今の観客だと思うのです。
役者さんは勿論です、けどお客さん。
もちろん楽しみに観劇に来ている訳ですが、
ただ客だからと上から目線やいい距離感や言い訳や他人事ではなく
本当の意味で役者さんのことや気持ちを考えて
つまり相手の気持ちを考えて「一緒に」楽しみ、考え、
今をがんばって次の時代へ生きてゆく繋いでゆく・・・
大衆演劇と云う舞台と客席が一緒になって今日の舞台が出来てゆく芸能だからこそ
我々客席の者たちがそうあれればな、押し付けちゃいけない、けど、そうあれたらいいな、
といつも思います。
上から目線の評論や自分がみるめあることを殊更に主張するためのSNSでの発信や
そうではなく、もっと、心から彼ら(役者)のことを。
キャーキャーわーわー自分だけが楽しむのじゃなく、相手(役者さん)のことを。
そうなれれば、きっと・・・。

うれしくもかなしくも私はもうただ客席で楽しんでいただけの頃とは違います。
内側も、ナカミも、いろんなものもみて、この身で体験もして、
役者さんの苦しさしんどさも聞き、(自慢ではなく。嫌なことも)感じ、
そんな自分だからこそ、ここで、発信して、なにかひとつ、誰か一人でも、
何かを感じて頂いたり、考えるきっかけになればいいな、と思い、最近、そんな記事も書いています。

だから、いつも、こうして嬉しくあたたかい言葉をいただけ本当に嬉しいです。

ホントにホントに、お会いしましょうね!絶対!
桃⇒かずら様
2017/01/23 21:14

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