桃花舞台

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zoom RSS ちゃんと。やさしく。あったかく。-舞台と客席、「芸」と自意識について-

<<   作成日時 : 2017/01/26 10:38   >>

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芸と自意識についてよく考えます。
大衆演劇と自意識と、「やさしさ」について思います。

私が大衆演劇で最もニガテとするもの。
それは役者さんの≪物語(おはなし)よりも「私」が勝っている舞踊(芝居)≫と
お客さんの≪観る・・・を通り越してちょっと余計な気が入っている気持ち≫です。

まずは≪物語(おはなし)よりも「私」が勝っている舞踊(芝居)≫について。

芝居や舞踊は「物語(おはなし)」、
伝えたい気持ちの込められた「物語(おはなし)」だと思っています。
その「物語(おはなし)」を他の誰でもない自分のからだを使ってどう表現するか。
面白い、むずかしい、面白い。
けれど時に「物語(おはなし)」よりも「私!!!」が
舞台姿から溢れ漏れ滲み出すぎて芝居や舞踊に出会います。
芝居や舞踊(の曲の中の)物語(おはなし)を無視していたり
物語(おはなし)を見せている自分に酔っているように見えたり
「私!!」を見せるアピールするために物語(おはなし)の本質を捻じ曲げていたり・・・
勿論、すべての芝居と舞踊は職業としての旅役者が自身という商品をアピールするためのツールです。
覚えてもらわなくちゃ、明日も来てもらわなくちゃ、
矜持あるサービス精神の持ち主たる彼ら彼女ら故にアピール&サービス、過剰になることもあるでしょう。
けれども。けれども、です。
「物語(おはなし)」を大切にしないことは先人たちや曲を作った人への冒涜。
滲ませず「作品」として見せて欲しい、それが本当のプロの仕事なんじゃないかなあ。
剥き出しで叫ばれる≪自意識≫は重たい、しんどい、面倒臭い、自然ではない。かなしくなってしまうのです。

そんな舞台上の自意識に対して客席でもなんだか困った自意識をいっぱい感じます。

≪観る・・・を通り越してちょっと余計な気が入っている気持ち≫

私たち観客が劇場に足を運んですることは「みる」ことです。
日々矜持ある舞台(じんせい)を見せてくれる役者さんに対して
私たちがすることは単純かつ深いそれに尽きると思っています。
けれど、なんだ、時代の便利さやいろいろ多様化のせいなのでしょうか。
ちゃんと、純粋に、純に「みる」。そんな粋で楽しみ上手な人が減ってはいないかなあ。
劇場に行けば「みる」だけじゃない、いろんなことが楽しめる。
話せる、繋がれる。
写真が撮れる、SNSにアップ出来る。
それがきっかけで仲間グループが出来る、繋がれる。
なんだかネット上で自らも表現が出来たような気になれる。
劇場内や劇場での観劇後も出来ることが増えたからこそ贅沢になっていて
その贅沢が当たり前となり「みる」にプラスアルファの余計な気持ちが入ってはいないでしょうか。
発信したい表現したいアクセス数が欲しい仲間内で盛り上がりたい広めたい・・・
それがダメだと言うのではありません、誰も悪くありません。だって誰にも悪気はないのだから。
ただ気持ちが分散して「みる」を大切にせず集中出来ていないんじゃないかと思うのです。
その気持ちが、業とまでもいかない自意識が、なんだかいろんなものの敵のような気がしてならないのです。
どうか皆その余計な自意識に引っ張られないように、酔わないように、
自分は良い事素晴らしい事をしていると勘違いしないように、驕らないように、偏らないように・・・
律したい、いや、純粋に粋に皆で「みる」―楽しみ上手であれたらいいなと思います。

≪物語(おはなし)よりも「私」が勝っている舞踊(芝居)≫
≪観る・・・を通り越してちょっと余計な気が入っている気持ち≫
考えると、ふたつに共通するのは「自分ばっかり」の気持ちなのではないでしょうか。

「みて!」「みて!」・・・「私!」

自意識「自我」ばっかりになってないかなあ?
そんなことない。そんなことないよね、うん、そうよ間違ってないよあなたは。
でも本当に言い訳ではない? どこか傲慢になっていない? 意地になり思い込もうとしていない?
その気持ちを身内や仲良しグループ内での肯定のし合いや
グループ外の者の悪口やけなしでキープしてはいませんか?(客も、役者も)
そんなの凄くさみしい、ちいさい。あったかくないなあと思います。

≪物語(おはなし)よりも「私」が勝っている舞踊(芝居)≫
≪観る・・・を通り越してちょっと余計な気が入っている気持ち≫
ふたつに共通するのは年齢は関係なくどこかしら精神的な幼さなのかもしれない。
心の中になにかしらの澱があり「見て欲しい認めて欲しい評価して欲しい」となっているのかもしれません。
それらはきっと人間皆が持っている素直な気持ちであり「業」のようなもの。
ニガテだなと思います、嫌だなあと思います、
けれどね同時に「しょうがねえなあ」「そんな人間って愛しいなあ」とも思うんです。
だからこそ、向き合いたい、コントロールしたい、いえ、「やさしくなりたい」。
誰の中にもあるこの飼い慣らすに困難な自意識と自我を見つめ、
せめてまだまだであろうとも、それでも少しでも受け取る相手の気持ちを思ってみたい、
本当の意味で自分より相手を想う気持ちを大切に出来たらきっと素敵、
そうして≪やさしい大人≫になりたい、芝居の世界に描かれるあったかくてやさしい男たちと女たちのように。
これは私の1意見、人はさまざま、押し付けてはいけません。
けれど、もし、ちょっとでもそうなれば、なんだかあったかくなるんじゃないかなと思うのです。
舞台、客席、大衆演劇、なんだかちょっともうちょっとあったかくなるんじゃないかなあと思うのです。

昨年お亡くなりになった文楽の人形遣い
吉田文雀師匠がおっしゃった忘れられない言葉があります。
もう何年も前、新進気鋭のカメラマンだった知人が舞台写真を見せに行った際のこと。
師匠はちらりと写真を見て一言、「ちゃんと撮りぃな」。
怒るでもなく笑うでもなく、けれどもう一度見ようともせずに。
写真には梅川だったかなあ、玉手御前だったかなあ、ヒロインが写っていました。
けれどどう言ったらいいのでしょうか、真正面からの写真じゃない。
雪、背景、角度、
いかにもカッコよくお洒落に撮ろうとしました撮ったでしょうという気持ちの滲み出た角度や陰影、
カフェやミニギャラリーで展示されているような、
ネット上に上げられるこれ見よがしに意識高い系写真たちのような。
「梅川がかわいそうや。ちゃんと撮りぃな」

私も物書きという芸人です。
しかし大衆演劇ではこの世界を書くも役者ではなく客席の人間です。
だから、両者の間≪真ん中≫で私ももがき向き合い、
まだまだまだまだですが、やさしくあったかくあり、あり続けられるようにあり、
観、書いてゆきたいと思っています。

謙虚に、愛を持って、毅然と、鋭く。

ちゃんと。やさしく。あったかく。 



※過去にもこんな記事にしているのですが改めて書きたくて。

【粋でありたい、客もまた-時代とSNS(など)と大衆演劇-】
http://momo1122.at.webry.info/201610/article_2.html

【Dear, 愛しきコアな大衆演劇ファン-明日の大衆演劇と自身の為に-】
http://momo1122.at.webry.info/201406/article_2.html

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インターネットの力と有難さを身をもって感じている。 業界人、役者さん、ファンの方、 声をかけて近寄って下さった方、励みにして下さった方憧れて下さる方、 旅芝居(大衆演劇)関連のいろんな縁は まだネットのブログなんて広まっていない頃から続けてきた自分の文により繋がった。 けれどだからこそ見逃せない、見逃してはいけないと思っている。 あなたにも言いたいし自分も胸に止めたいと思っている。 インターネットと大衆演劇のステキな繋がり… 便利さありがたさ素敵さと共に怖さや弊害や「気をつ... ...続きを見る
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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
本当、観たいだけ、に尽きてしまう気がします。
多分、だから、余計なことをしてしまったり、言ってしまったりなこともあると思うんですが。

どうしたい?どうなりたい?
みたいに考えて、考えて、
本当に観たいだけって言葉に落ち着きます。

観てる自分を見てもらえたら、それは嬉しくて、
『私』を認識した上で、ありがとうって言ってもらえたら、
それは本当にとてもとても嬉しいです。
でも、それ以上は本当になくて、多分、逆にそこを越えたら観たくなくなってしまう気がします。
一時はとても嬉しいかもしれない。でも、きっと嫌になってしまう。
まだ長くない時間ですが、客席の色々を見聞きしていて、それは本当に思います。

観に行って、観に行って、それを積み重ねる。
それをずっとずっと続けていたいです。
多分、そっちの方が大きな見返りを求めるよりも難しいのかもしれません。

10年後に思いを馳せる。
これは小劇場では経験出来なかったことです。
気がつけば、10年近く経っていたことはありますが。
小劇場のお芝居も、それくらい観続けれるような感覚で観たいですけどね。これは、そうなったらいいのになって本当に思います。
役者さんと話をすれば、本当に変わらなくて、どうして同じようにお芝居で食って行こうと、続けようとしてくれないのかしらって、大変なことはわかっていながらも、思ってしまってたりもします。
小劇場お芝居に関しては、やってる側が思ってるよりも、観てる側は観たいんだと思います。でも、色々とうまくいってなくて、観れない。

話が逸れましたが、
本当に是非!!今年はお会いしましょう!!!

桜の花が咲くまでにメールさせていただきますね。
かずら
2017/01/27 07:56
「みる」こと。
「相手をちょっと思ってみる」こと。
一番シンプルで一番大切なそれがきっと一番難しい。
でも大切だし、大切にしたい、相手のためにも、自分のためにも。
もう認めて欲しくてわんわん泣いたり叫んだりしている子供じゃないんだから、
相手を想い、自意識モンスターやプライド肥大化モンスターにならないように、皆で楽しく、皆で頑張って生きてゆければなあと思います。

ずーーっと観てゆくおもしろさ。
ずーっと舞台を、それはつまりずーっと人生をみてゆくことで。
同じ時代を一緒に生きてゆくということで。
こんなに面白いいや素敵なことってないと思うのです。
大衆演劇ならではのしあわせだと思うのです。
だからこそしあわせのために、少し、少し。

小劇場に関しても同じ気持ちで、
でも私はかずらさんのように心が広くなくて、
あまりの「身内感」「お客さんのことを考えていない感(劇団も、劇場も)」に
いや「何も変わらない」感にかなしくあきれてしまい・・・
大衆演劇が一番すごい優れていると声高に言うのではないのですが大衆演劇を観ているからこそ「なんで同じ「舞台」というものなのに立つ人たちの気持ちがこんなに違うのだろう」「もっと素直でシンプルな気持ちになれないのだろうか」・・・いやいやこれも押し付けですね、いけませんね。

今年かずらさんと一緒に観たい舞台があります。
きっとそのときお会い出来ると思うのです絶対。

いつもありがとうございます。
読んで下さり考えるきっかけにして下さり
やさしいあったかい御自身の言葉で返して下さる。
顔の見えないインターネットの世界ですが
こうして返して頂くことでひとりにでも何か届いている・・・
つまりもうちょっと届いているのかな、と思わせて頂いています。
学ばせて頂いています。
桃⇒かずら様
2017/01/27 10:31

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