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zoom RSS 火と業、「魂の色気」-美影愛という旅役者のことA-

<<   作成日時 : 2017/04/05 00:13   >>

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画像ふと思う。
落語『死神』のラストに出てくる
命の蝋燭が本当にあれば
先生「美影愛」の蝋燭は
沢山の蝋燭たちの中で
ちょっと異様に目立っているのではないかと。
ふぅらりゆぅらり、他の蝋燭たちと共に揺れながらも
赤の炎の中の青白の火は決して揺れずまっすぐにカ…ッ!
14年大衆演劇を観てきたがこんな役者は初めて見た。
死神だって魅了されているに違いない。
「消そうか。消して自分のものにしてしまおうか」
「けどまだもう少し見ていたい…まだどれだけ続くか」
見惚れているに違いない、
その蝋燭の美しさと強さ、≪魂の色気≫に。

蝋燭ならぬ煙草は私の中で先生とセットである。

若き日はあの舶来の紙巻煙草「モア」を吸っていたらしい。
モアは廃盤となり随分経った。
が、今もなにげない煙草を1本抜き、口元に運び、火を付け、くゆらす一連の仕草にドキリとする。

先生の芝居でも煙草は雄弁に物語る。

『老侠一人』伝説の名ラストシーン、「俺の心はHappyだぜ」
『博多の鉄と万公』のリメイク『別れ手錠』。
水俣病にかかったおおきな子供¢セ陽は刑事に引かれてゆくヤクザな父・鉄郎の煙草に火を付ける。
そして銀流し=B
『上州土産百両首』のリメイク『涅槃の約束(プロミス)』、
銀流しの庄太郎≠ヘ「3年立ったら会おう」の約束の「御守」に阿呆の牙次郎に自らの煙管を渡す。

銀流し、それは煙管をはじめ身の回りのものを銀で揃えたりする洒落者のことを指す。
先生の父、舞台所作「六方」で野崎の長さん≠ニ呼ばれた
初代片岡長次郎その人は銀流しの長さん≠ニ呼ばれていたそうだ。

が、先生も、いや先生こそ銀流し≠セと思う。

洒落ている。立ち居振る舞い、見た目、舞台、普段、何から何まで。
一言で言うとそれは「美学」、けれどそれでは言葉が足りない。
徹底したこだわり・・・でも人の目を気にして気取り気負うのではない。
そのときそのときの自分の感性で、ふ、と。
まるで大人の遊び=A大人の本当のお遊びのようなもんだろうか。

例えば今では誰もが当たり前のように取り入れている派手なカラー鬘、
足袋や着物の裏地や帯などの柄合わせ、下駄の鼻緒を女物に挿げ替えたり…
全部誰より先に始めた、観客たちはアッと驚きながらも魅了され、役者たちは俺も俺もと真似した。

既存のものに「自分」を加える。
自分の感性で自分用に手を加え、リメイクしたり、全く新しいものにしたり。
芝居だって同じだ。
こだわりの照明、BGM。
ヤマを上げず感情をのせた自然でリアルな台詞回し。
本や映画から感性で拾い使う洒落た台詞。
古くからの定番芝居をリメイク、感性からの全くのオリジナルの新作。
唯一無二、唯我独尊、天上天下ではない、猫の額、
「いい悪い」じゃない、あくまで「俺」、猫の額で唯我独尊、「俺」、「俺のやり方」…
それはつまり「美影愛」、彼自身の生き方そのものなのだろう。

しかし銀流しも歳をとる。
どんな洒落者だって生老病死には勝てない。
肉体的に、なにより精神的に、
若い頃は自然とサマに出来てきたそれ、
自然で当たり前だったそれが自然には勝てなくなる、
また歳ゆえにそれに伴う時代ゆえに
「生きていかなくてはならない」理由で「本当はかくありたい自分」をなくす、そんな時やことも起こって来る。
人生かけて自分を貫き通す、それはなかなか簡単なようで易くない。

けれど、銀流しは、美影愛は、それでも美影愛だ。

もしかしたらもがいているかもしれない、いやもがいてるだろう苦しいだろう。
でも格好良く自分らしく、自分が納得のゆく自分のやり方を突き通す。
もがく姿格好悪いざまは決して見せない。
死には抗っていない、けれど自分が自分らしくなくなることへは抗う。
自分が自分でなくなること、それは死よりも死、精神の死だ。
精一杯の格好付けで、自分が自分であるために自分に抗う。
美影愛は美影愛、他の誰でもない美影愛、
自分のために、自分を自分だから好いて惚れて慕って憧れてくれる者たちのために、「美影愛」を突き通す。

戦っているのだ。戦ってきたのだ。飄々と。格好良く格好悪く。格好悪く格好良く。

今年で74、が、枯れているのにギラリひたひた。
棺桶に片足突っ込んでいても、心臓が半分なくても、「ても」じゃない「でも」、「でも、それでも」、「美影愛だから」。
だから私と私たちは殺気にも似た生気、凄艶なる≪魂の色気≫に押し倒される。
命を削る見栄っ張り、ほんまもんの格好付けに静かにも激しくヤラレル。ゾクゾクする。

訊いたことがある。「10年前の手術で生死を彷徨った際何が見えた?」
ちょっと間をおいて返ってきた、「華陀、と、パチンコのドル箱」

今、先生の蝋燭に見惚れている死神が男か女かはわからない。
が、女ならすげぇいい女で男なら博打打ちだ、きっと女なら抱く、男なら打ち負かす。

まだ立つ。美影愛の舞台を見せる。

大衆演劇の定番芝居のラストに「縁と命があればまた会おう」なんてセリフがある。
けど美影愛は一人芝居『流れるままに』のラストでこう言う。
「あの世じゃねえこの世じゃねえ。牛頭馬頭奪衣婆を引き連れて閻魔の庁へ殴り込み。
閻魔大王に「悪かった」って頭下げさせるのがおめえへの俺の手土産だ」

老いたる銀流しの庄太郎は再会した牙次郎から受け取った煙管を
五輪五体傷だらけになった体で、しかし、なんとも粋な様でくゆらす。

先生はなにげなく1本、若くはない口元にくわえ、どこか私たちには見えない方を見ながら、火を付ける。




※【光と糸、「本当」-美影愛という旅役者のこと@-

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「美影愛?誰ですか?」。それがはじまり。 ...続きを見る
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2017/04/07 10:34

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