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zoom RSS 旅芝居・大衆演劇の≪ステキなところ≫-ある『大きな古時計』から-

<<   作成日時 : 2017/07/01 10:10   >>

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その舞踊『大きな古時計』はおもしろかったのです。
「どう?楽しんでる?楽しいでしょ?」
「お?じゃあ?こんな技どう?ふふ。じゃあこれは?これは?」
笑顔で、時におどけるようにすらしながら凄いテクニックをひょいっ、ひょいっ。
思わず笑ってしまいました、踊る彼と見入る客席をみて、嬉しくて。
そして・・・思い出させてもらったような気がして
旅芝居・大衆演劇の≪ステキなところ・大事なもの≫を。

きっかけは我が友人。
お熱なのです。
私はそれまで名前も知りませんでした。
友曰く「元は九州の舞踊だけをやる劇団で温泉地などを回っている」劇団の座長だそうです。
最近の猫も杓子も座員揃ってなくっても旗揚げブーム(苦笑)な大衆演劇界で
関西を中心に少人数の劇団の「手伝い」として出演する機会が増え
少しづつ名が知れ渡ってきたそうです。
先月6月は話題の新劇団に。そこで私が観たのが『大きな古時計』でした。

この曲での袴踊り自体は珍しくないと思います。
何人も観ました。
なんだ、女形で踊ってる座長も観ました。
(意味不明。けどこれもその人の個性ですね)
でもどれにも共通して感じたのは「技、見せてます!!」な気持ち。
チクタク、チクタク、「巧いでしょ?」「凄いでしょ?」
これ見よがしな想いが透けて見えるような。
そもそも袴踊り自体そんな傾向にあるような。
「袴で踊ってますよ!見て下さいちゃんと踊ってますよ!」「どうだ!俺の山河はうつくしいか!」
鼻に付いたり、苦笑いしてしまったり・・・。

けれど彼は真逆でした。
カラコン(?!)、年齢不詳、
見た目ホスト系=Aウォーター(水商売のおねーさん・おにーさん)臭=A
そんな顔と雰囲気の彼が白の羽織袴でチクタク、チクタク。
流れるような仕草、相当あるテクニック!
けれど凄いことを見せびらかし見せつけるのではなく軽ーく楽しーく。
余裕のニコニコとフフと艶なる笑みのミックスで
「どう? あ、良かった。ならこれどぉ?」「楽しい?楽しいでしょ?楽しいね!」
とでも言わんばかりに凄い技をひょいひょいとお客の顔みて見せている。
全然上から目線でもない、けれど客をナメているのでもない。
本当に「楽しませ、楽しみ、技と芸つまり自分というものでその時間とそこに居た皆をHappyにしてる」
この瞬間、この舞踊、つまり自分の芸で。
≪目の前のお客さんへ≫
≪目の前のお客さんのために≫
≪今、この瞬間、「俺の芸」でお客さんを楽しませる≫
「だって俺だよ?俺とあなた(あなたたち)が今ここに居るんだよ?」
ああ、旅芝居・大衆演劇の精神=Aだ。

正直、ここ最近、旅芝居・大衆演劇に思うところがとても多かったのです。
芸や舞台自体はどこのどれもとても華やかになっています。
異様だったりヘンテコだったりという劇団や役者はあまり見なくなり
どこも見目麗しくそこそこ平均点以上の舞台をやっているように思います。
今風で。今のお客さんのニーズを掴んでいて。楽しくておもしろくてきれいで親しみやすい舞台を見せている。
泥臭さは影をひそめ、知らない人にも胸張って薦められるような舞台でありジャンルになってきているみたい。
けれどなんだかみんな余裕がないように見えてならないのです。
なんだか世知辛い、というか。
なんだか無粋になってしまったのではないかなあと思うのです。
役者も、客も、いや時代が。誰が悪いのではないのです。
なんだかおおきなもの≠ニしか言えないのです。
なんだろう。
この「ちいさくなった(なっている)」「やさしくない」「あったかくない」「自分ばっかり」みたいな感じは。
やっぱりお金、そして生きてゆく(ゆかねばならない)というところなのかなあ。
むかしと違って娯楽が多様化した時代、
芝居の中の常識など「共通認識」が時代と共に薄れてきている時代。
たくさんの劇団がしのぎを削る時代。
「わたしがわたしである」ことよりも「ちゃんとしてる」「きれい」が求められる時代。
やむにやまれぬ現実やそれでも役者としての自分とのせめぎあい・・・
そうしているうちに大事なものが、
主張や「我」ばかりになって見えなくなってしまったりしているんじゃないかなあ。
どんな時代でも、何があろうとも舞台で食っていかなくてはならない、
劇団を守らなければならない、座員や家族や大事なひとを守っていかなくてはならない、
その「現実」に追われ見えなくなってしまうことやモノが多くなっているのかもしれないなあ。
それそれにそれぞれのこだわりや美学がある。皆、皆それぞれに自分のやり方で一生懸命。
けれど大入りにしなきゃ、ひとりでもお客さんを入れなきゃ、食うていかなきゃ、生きていかなきゃ。
そんなこんなでいろんな余裕がなくなってしまっているんじゃないかなあ。
お客も。なんだかおおらかではなくやさしくなくあったかくなく、
いろんな余裕がなくなってしまっているんじゃないかなあ。
近頃の大衆演劇界の「うーん」「とほほ」「おっと・・・ととと」的な部分は
そういったところが理由ではないかという気がして舞台と客席の間で考えてしまうことが増えていました。

でも彼、このケッタイな役者はその舞台で見せてくれました。
メディアに出てる訳でもない。
大入り連発人気劇団、大衆演劇を代表する劇団(こういう言い方嫌い)の座長とかでもない。
いまだにドサ回り=A矜持を持ってドサ回り=B
だからこそ天性ものと、そうして生きてきたことで培ってきたものが舞台に滲んでいたように見えた彼。
巧い、けど決して品行方正お上品芸術みたいな芸ではありません。
白羽織袴、けど、楽しくおどけるような表情まで見せ「チクタク・チクタク」。
ニコニコ笑顔(でありながら時にドキッとする艶っぽい笑みミックス)で
≪目の前のお客さんへ≫≪目の前のお客さんのために≫
≪今、この瞬間、「俺の芸」でお客さんを楽しませる≫
≪あなた(客)と俺(役者)≫
媚びるのではない、主張し押し付けるのでもない、ただただ目の前のお客様を楽しませる。
「自らの「芸」つまりナカミ=i感性・生きてきて培ってきたもの)で。
それは「THE プロフェショナル」の仕事、いや仕事じゃない生き方そのもの。
これが旅芝居・大衆演劇、これが旅役者・・・のステキなところだ・・・と。
私は嬉しくて、ニタリ、ふふ、わははは、わーいと嬉し笑いをしてしまいました。
ああ、「旅役者」はここにいる、「旅芝居」はまだここにある。
ううん、きっと、どんな役者の中にもこの≪旅芝居のステキなところ・大事なもの≫はほんまにほんまはある。
ちょっとしんどくて、ちょっと見えなくなったりしてるだけ。
どんなお客の中にも≪旅芝居のステキなところ・大事なもの≫は絶対に届く。
たくさんのたくさんの先人たちの想い・・・
≪旅芝居のステキなところ・大事なもの≫は時代をこえても残ってゆく。
だから旅芝居・大衆演劇は今も生きてる、これからも生きてく。
形じゃない、いい悪いじゃない、芝居だろうと舞踊だろうと、どんなやり方でも、時代が変わっても。
旅芝居・大衆演劇はこれからも≪あなた(客)と私(俺(役者))≫≪今、この瞬間≫。
楽しみ楽しませ、生かし生かされ、救い救われ、明日へと続いてゆく。
客席は見入っていました。
役者は笑顔のそのまた上のええ表情≠オていました。
たのしくて、おもしろくて、しあわせな空間がそこに広まっていました。


後日談。
お熱な友が彼に私の感想を伝えてくれたそうです。
偶然にも誕生日だったその朝に。
一か月悩み多かったらしい彼。
が、「報われた、背中をポンと押された」「一番の誕生日プレゼントになった」
勿体ない。こちらこそ励ましてもらった励みになった。
業の深き物書きはとても感慨深くなりました。
これまで思いもしないところでたくさんの役者さんを励まし、励まされてきました。
若い方々も、そして人生の先輩たる方々にまで。
「役者をやってきてよかったと思いました」
「俺の役者人生をわかってくれて希望が持てた」
「大衆演劇というものに絶望していたときにお前の文に会った」
書くしか能のない人間はそうして旅芝居・大衆演劇に、「人間」に生きる力をもらってきました。
私のように旅芝居・大衆演劇に救われ生きる活力を貰ってきた人はたくさんたくさん、
いや、この舞台世界を愛する皆だろうと思います。
ああ、おもしろかった。ああ、おもしれえ。大衆演劇が、大衆演劇で、おもしれえ。
今日も、笑顔で。
今日も生きましょう。楽しみましょう。

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