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zoom RSS 滲む想い -≪大衆演劇≫、「人生=舞台」という事-

<<   作成日時 : 2013/10/11 18:12   >>

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大衆演劇の舞台は虚実皮膜。全ては舞台に出る。
それらはどれだけ塗っても客の目の前に晒される。
芝居(おはなし(虚))の世界に入っている舞台上の役者自身には解らないかもしれない。
でも気付かぬかもしれないが出てしまう、滲んでしまう、
なぜなら≪大衆演劇≫の舞台は毎日が「舞台という生活」だから、
そして「血」で演じているから。どんな時でも「人生が舞台」だから。

先月末で、以前からちょいちょい観ていた劇団の副座長が辞めた。
彼は座長の弟であり副座長だった。
これまでも兄弟が座長を交代していたり、どっちかがしばらく居ないこともあったり、
そんな“ややこしや”が常に話題になる劇団ではあったが、
また、いや、本当に、今月から、居ない。

もうひとつ。

もう時効(?!)だからやっと書くが、
思うところあってここ数年ずぅっと追っている劇団、そこの座長が6月突然消えた。
彼は個性派の父から座長を引き継ぎ6年、やっと己のカラーの劇団となったところだった。
全ての理由は解らない。雑誌? 噂? 誰かから聞いた? そんなの何が真実か解らない。

これらの「いきなり」に対して客席は好き勝手を言う。
この2件に関しても色々耳にした。
でもきっと絶対、真実は客には解らない。
なぜなら客席は客席、舞台と客席の間には近いようで本当は近くなんかない。
それに加えて、思う。
きっと真実は、当の役者達、残された者自身にも解らないんやないやろか。
なぜなら大衆演劇において役者と役者の距離は近すぎる。
ましてやそれが血の繋がった親子や兄弟ならばなおさら
近すぎて、近すぎるからこそ気付かず見えず、解らなくなって
いや実はどこかでうっすら解ってはいても、見て見ぬうちに、毎日が舞台舞台で流れゆき、
結果、「消える」「辞める」という決定的な目に見える「形」になってしまうのではないか。
でも追えない、なぜならSHOW MUST GO ON、だから「来る者拒まず、去る者は追わ(え)ず」。

たった10年やけど濃く大衆演劇を追う中で、
それでもその中で何人もの役者が消えたり、また何事もなく戻ってきたり、
それも含めてずっと観て追ってきて、ワシはそう思うようになりました。

けれど舞台には否が応にでも出るんだよね、「本当」のことが。
逃げも隠れも隠せもしない「事実」「ゲンジツ」が滲むんだよね。
以前から感じていたそれを、この2件で、しみじみ痛いほど思わされたことも事実です。

先月2度観た時、座長(兄)と息はピッタリでしたツッコミもばっちりでした。
でもばっちりのツッコミ、兄弟にしか出来ないあの間のツッコミをしながらも、
喜劇でゲストと絡み大暴れをする兄を観る時、弟の目は笑っていないように見える時が幾度かありました。
ばっちりの息、なのに、時折、ゾッとするような他人の目。
勿論、これはワシが勝手な思い込みありきで観ているせいもある。けれど、切なかった。
これは兄と弟にしか解らぬ、いや、もしかしたら兄と弟にも解らぬ、
永遠に解決出来ぬ永遠の問題なのだろう、その目を見てそう思い、やるせなかった。
そしてその月が終わり、弟は本当に辞めた。

そして、思うところあり(※正確には思うところあって追いたい人が在籍していて)
ここ数年ずっと追っていた劇団の、消えた座長。
消えてからは代わりとして父が座長としてまた劇団の中心となり統率するようになった。
その劇団で、息子が消えた翌月、十八番である狂言『無法松の一生』を主演する父
いつもより人間臭く、切々と気持ちが伝わるように見えた。
これはワシの勝手な思い込みだと思いながらも、沁みた、沁みこんだ。

翌月、また同じ『無法松』の芝居を観た時、ワシは、父がふとこう漏らすのを聞いた。
「俺、先月、無法松演った時、アイツの顔が浮かんできた」
無法松、そのひとはヘタクソなまでの≪まっすぐさ≫故、
吉岡の奥さんとその息子敏夫を愛するも理解されず老いて死んでゆく…。
帰ってから、ワシ、初めてちょっとだけ、泣きました、いろんな人の思いを想って。

そう、やはり、全ては舞台に出る。
なぜなら、毎日が舞台であり、「血」で演じ続ける、≪大衆演劇≫の舞台だから。
「己」の生き様全てを舞台に乗せ、見せる、見せねばならぬ≪大衆演劇≫の舞台だから。
そう、彼らはどんな時でも「人生が舞台」の旅人だから。

画像


辛いね切ないね、だからこそ、でも、笑顔、それが≪大衆演劇≫なんだよね。
でも、だからこそ…己も人生を重ねながら、ただ、ただただ、全てを見ていこう。
それこそ、「人生が舞台」である、他でもない≪大衆演劇≫の役者さんへの最大の礼儀。ワシはそう思います。
嗚呼、≪舞台≫って深い。だから≪舞台≫、≪大衆演劇の舞台≫は果てなく、苦しいほどに、深く、面白い。

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文中の劇団は、劇団炎舞(兄弟) & 紅劇団(父と子)。
でもこれはひとつの例え。

写真は9月22日、篠原演芸場、ひさしぶりの関東ゲスト出演を終え、今の心境とこれからについて語る紅あきら会長、いや、座長。

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『今宵の月のように』
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父と子、兄ぃと牙次郎〜ある『上州土産百両首』〜【その@】
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