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zoom RSS 光と糸、「本当」-美影愛という旅役者のこと@-

<<   作成日時 : 2017/03/25 01:41   >>

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画像不思議な糸、そして光。
大衆演劇、旅芝居に魅了され14年、
公私共に追う内に思うようになったことがある。
「大衆演劇、その舞台は人生そのもの
旅役者、その人生は舞台にすべて表れる」
・・・出会った、出会えた、「本当」に。
彼の名は「美影愛」、73歳の老優だ。

5年前。
この業界の先輩であるライターから誘いを受けた。
大阪で観られるのは珍しいから、
凄い人やから、一緒に行こう。
「美影愛?誰ですか?」
知らなかった、想像もつかなかった。
太郎とか之助とか弥とかじゃない。
美影。月影?
漫画『ガラスの仮面』の天才女優で演劇の先生?
え、男?!なのに愛?!

想像もつかなかった役者はこれまで観てきたどんな役者とも違っていた。

オーラなんて言葉は軽い、
九州の骨太と関東の洒落た香り、
和なのにどこか洋の匂い、
ひたひた滲む魔力のようなムードと
舞台に立つ姿のそこここに光る「美学」。
舞踊、骨太ゴリゴリの将棋指しに成り切った。

画像


その翌日、「昨日とは全然違う踊りを見せましょう」
岡千秋のジャズピアノ版『波止場しぐれ』を若くはない不思議な鬘で見せた。

画像


踊りじゃなかった、物語(おはなし)≠ェ見えた人生が見えた気がした。
芝居では台詞の一言もない用心棒だった、のにぎらぎらのオーラを滲ませていた。
あんな用心棒おったら親分守りきるで、芝居の筋変わってまうでと思った。
送り出しでもドキリとした。「まだ長生きするつもりだからまた御会い出来ますね」
帰り道、私的最大級の褒め言葉でライター氏に感想を伝えた、「モテたでしょうね!」
書かずにいられなかった。すぅっと出てきた、この例え、
謎めいた、怖いほどのひたひたオーラのジイサンに見えないジイサン、
これだ、ファントム=u怪人(ファントム)の美学」!

2年後。
「探したんですよ」
正直最初は人違いだと思った。
ブログをみて?いや、それはきっと賢く書くひと、そんなひとたちだろう。
違った。「怪人ファントムって書いたでしょ?この感性!」
そうして誘われて観た舞台、彼の人生そのもののような一人芝居の前にあった舞踊が『羅生門』。
坂本冬美の羅生門、大衆演劇旅役者たちがこぞって使い踊る羅生門、
でも違う、ぜんぜん違う誰とも違う、
始まりと中間に琵琶の生演奏付、
ぼろぼろの傘、脱げた下駄、着物に墨文字「猫の額で唯我独尊」、
白髪頭で血塗れのジイサンが転がり、睨み、手を伸ばし、叫ぶ、「光が見えた!」

閃光が走った。

正直に言う。大衆演劇。愛しい。人間そのものの舞台だから。
けれどね、観れば観るほど思うようになった、「そんなもんなんか?」「そんなもんじゃないやろう?」
きれいなもの。うまいものにもたまには出会う。けれど、うまいだけきれいなだけ。それでいいのだけれど。
さらに正直に言う。
毎日が舞台だから、舞台で生きて行かなければならないから、うん、わかっている。
でも表現者より生活者の顔を見せ、生活のために自分に言い訳をしているような役者やその舞台。嫌だった。
常に苛立ちと焦燥があった、ずっといつも役者にも客席の観客にも距離感を感じていた。
出会いたかった。
舞台から滲む感性や人生観やナカミ=A全てが「伴っているような」…
物語と人生と…すべてが伴い「作品」となったもの・とき、そうして全てを飛び越え、超越するような「本当」に。

飛んできた。生きざまに押し倒された。

曲の物語の中の「虚」と演ずる本人のナカミ≠ニいう「実」・・・
すべてが伴い共になっている・・・とアタマではなく心が体が感じ思った。「嗚呼羅生門だ」
心が騒ぎ血が湧き立った。言葉ではなく体が先に出て、ただ頷き、身振り手振りで
「これが!これが本当の羅生門です!本物です!」
(当時の記事@AB、と、先日改めて書いた記事

光が何なのかはわからない。けれど私にとってそれは人生に差した光だ。
怪人(ファントム)≠ヘ「先生」になった。芝居の先生。舞台の先生。うん、ううん、人生のだ。

その人の人生は芝居より芝居だった。
ジョニー・デップ?ショーン・コネリー?いや、アラン・ドロンとチャールズ・ブロンソン?
いや鬼の平蔵?北斎?山頭火?どれでもない、「役者、美影愛」。
九州の女優・島崎竜子の子として生まれ、
彼女の再婚によって初代片岡長次郎の次男となった。
でもそんな肩書きどうこうじゃない。
九州を飛び出して関西へ関東へ東北へ。
自分の力、自分の感性、それだけを武器にあちこちの劇団に入り、
あちこちの劇団を助け、いくつもの劇団を作り、作っては解散し、
最後にひとつ家族≠スる劇団と二代目を育て上げ、今は、ひとり。
10年前心臓のバチスタ手術をし生死の境を彷徨って「でも生きてるんだ」
今は毎日舞台に立ってはいない、体、歳、そしてなにより心、向いた時に立つ。

立った際に幾度か観た。
今の他所の芝居の中に居るのはどこか違和感としっくりこなさを感じた、
わからない、わかりきれないなと思った。
けれど過去に立てた芝居をDVDで観た。
古くから伝わる大衆演劇のスタンダード芝居のリメイク、そして自作の新作。
一見目を引くのはちょっと他の役者じゃ出ないセリフ、そう、映画や本やドラマからヒントを得た。
でもセリフだけじゃない、そんな表面じゃない、圧倒的なナカミ=B
今の自分(とその劇団)がその芝居を演じる、なら理屈に合わないことや嘘が出てくる、
それを合わせていったらがらっと変わった、唯一無二になった、タイトルも変わった変えた。
そしてどの芝居にも「俺」、そのひとのその時やこれまでの人生や考え方や趣向が反映されているように見えた。
だから思った、大袈裟ではなく「これが大衆演劇や」と。

中でも私が個人的に思い入れの深い2本を紹介したい。

『上州土産百両首』のリメイク『プロミス(涅槃の約束)』。
(初演:2008年10月 御所羅い舞座 劇団芸昇+まな美座+劇団神楽 合同公演
再演:2015年9月26日 羅い舞座堺東店 劇団芸昇・まな美座ゲスト)
これは庄太郎、銀流しの庄太郎≠ェ
泣きん坊の牙次郎≠ニの「約束」を守って再会する物語。
元は銀流しという歳を重ねても伊達男だった男のが逃げつ転びつ転びつ五輪五体傷だらけになって、
けれど、「おまえのために」「歳をとっても男でありたい、男だから」会う。
そうしてラスト、庄太郎を慕ってやまない牙次郎は言う。
「オヤジさんの面倒はわしがみる!だから傍に居てぇな」
他人同士が約束を経て親子≠ノなる。
涙でぐしょぐしょの阿呆と傷だらけのジイサンが抱き合うラストに流れるのは
ルイ・アームストロングの『What a Wonderful World』だ。
泣いた。大衆演劇の芝居で初めてと言っていい、泣いた。美しくて。
人と人の繋がり、救われることや人生の肯定のようなものを感じて。そして、庄太郎がこのひと自身に見えて。
どうしよう。だいすきだ。 

そして、もう1本。最高の芝居。
『縁を結ぶ糸車 老侠一人』(2002年1月、バーパス松劇場、市川市二郎劇団、二代目市川市二郎主演)。
15年前、先生の父と母の追善座長大会でかけられた芝居だ。
今は中堅やベテランクラスになった座長たちが揃って出ているが
すべての役者がぴったりの役どころにつき皆に見せ場があり物語が進む。
人情、義理、人が人を想う心・・・
大衆演劇の王道芝居のいいところがすべて入っていて
けれどどこにもなかった最高にキザで洒落た「男」のラスト・シーンで幕を閉じる。
幼き頃生き別れた娘を髷がなく好いた男となった時代まで生きやっと探し出し、
けれど彼女のしあわせのために逃がし二人を追うかつての友のピストルにドスで立ち向かう。
すべてが終わり、ひとりになり、煙草に火をつけ、椅子に跨ってつぶやく、「俺の心はHappyだぜ」
かかるBGMは『アメイジング・グレイス』だ。
どんな芝居より映画よりアートより、世界一美しいラストシーンだと本気で思った。
泣かなかった。震えて姿勢が伸びた。
後にも先にもこんなに粋で、粋なのに人間と人生がつまった芝居はもう大衆演劇で現れない。
本気で思ったし今も思っている。

先日、ひさしぶりに大きな舞台に出た。
名優、盟友、勝龍治(はる駒座・総裁)の古希を祝う公演、ゆかりの人気座長を集めた大々的な大会だ。
(2017年3月15日・16日、新開地劇場、
「剣戟はる駒座 勝龍治特別公演祝 芸能生活古希記念 極付 伊達勝龍錦絵」)
でも先生は先生だった。
気負う訳でもなく、殊更に綺麗なことや言葉を重ねるのではなく、
2日間、芝居で踊りでただ「俺の舞台」を見せてお祝いをした。
2日目に披露されたのはあの『羅生門』だ。
あの時の羅生門から観て聴いてよりその人の人生が滲むように見えた「俺の羅生門」「私の羅生門」。
震え。背筋が伸び。息が止まり。「無」になった。人生だからだ。「本当」だからだ。
老いたる男は戦っていた、美学突き通しながら羅生門の下で戦ってきて、光が見えた。

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言葉にならなかった。もっと言葉にならなかった。
この日呼びつけた友…私を「大衆演劇の先生」と慕って下さる同志に終わってから抱き付いた抱き合った。
そしてもうひとり。探して、抱き付く・・・のはさすがに控えたが
同じファン仲間#゙に憧れて憧れてやまない興行師の社長に握手を求め握手し合った。
そして思った、やはり「本当」「本物」だ、と。
他がウソじゃない、他の役者が本当本物でないと言いたいんじゃない。
でもこの言葉しかない。

それは気持ちが少し落ち着いてこの日の主役である勝さんとの相舞踊…ならぬ
勝さんが歌って先生が踊る『逢いたかったぜ』を観てより深まった。
こんな相舞踊初めてだ。
「逢いたかったぜ」と歌う勝さんに寄ってその手をぎゅっと握ったり、歌う勝さんを包み込むようにしたり。

画像


別に巧い踊りじゃない、っていうか踊りでもない、
そもそも先生の踊りは所作がどう日舞がどうでは全然ない、そう、気持ちだ。
二人が「企画」として二人で舞台に立つのではなく、
二人が二人だから、他ではなくこの二人だからの『逢いたかったぜ』。
本当にいい表情で。ああ「本当」なんだと思った。
心が動かないと体は動かない、心が動くから体が動く。
当たり前だけれど、でも私たちは日々世間だとか生きていくためだとか
そういう負けや逃げじゃない理由でそうではなく自分の体を動かすことが出来るようになって生きていたりする、時にひずみを感じながらも。
けれど先生は「本当に」心が動かないと、動かない、動けない。
それは舞台でも人生もで、だからあの芝居やあの舞踊が出るのだろう。
なぜならそうして生きてきたから。
自分に嘘をつかず自分に恥じることを良しとせず自分を騙さず。
逆らわず流れのままに流されるのではなく流れるままに。
本当のことを言い、本当のことしかしない人は時に弱く群れる者たちから疎ましがられたり煙たがられたりする。
本当の人は生きるにしんどいこともきっと多いだろう。
先生もきっとそんな時もあったのかもしれない、多かった多いかもしれない。
けれどいつも本当の自分であり続けて、自然に、なにげなく、今もそうなのだと思う。
グッときた。笑い泣きした。
ああ、これが美影愛で、だから美影愛で、あの、あれらの舞台なんだ。

・・・なんてそんなことはすべて後付けである。
後付けどころかすべては私の主観で、私の「本当」、それでしかない。
2日間の大会、すべて終わって数日後、ぼろぼろ涙が出た。
嬉しかったからだ、誇らしかったからだ。
いっぱいだ、いっぱいになった、なっている。
私は書きたい、書かなければならない。
大衆演劇旅芝居、そこで出会ったこの「本当」、
業の深い、枯れてるのに熱い、羅生門のジイサン、その舞台つまり人生を。
書くって楽しい、書くって苦しい、本当に楽しい。
子供の頃から本と芝居と舞台で感性を培い「書く」を食うにし日々もがいてきた。まだまだだ、これからだ。
垂らしてもらった糸をお釈迦さまに見離されないようよじ登りたい、光目指して。
先生はまた舞台に立つ。今度は大阪で一人芝居だ。
是非皆さんと共に観たい。
他の役者さんのファンも。私のことが好きやいいとは思わないひとも。大衆演劇を好きなひとも知らないひとも。
皆。どうぞどうかこうして縁の糸繋がった皆と一緒に。
蜘蛛の糸は皆で上りたい。切れない。繋がる。

※次の記事→【火と業、「魂の色気」-美影愛という旅役者のことA-

※2年前、2015年の記事→【老侠一人(Phantom)-美影愛-



※【追記】
  文中で触れた一人芝居公演が決定しました。
  2017年10月14日(土)、15(日) 「座・九条」にて。
  
  10月14日(土) 神原組(小劇場劇団)とのコラボ 美影口立て芝居 「俺が親父だ文句があるか」
  10月15日(日) 美影愛一人芝居 「士魂一代…されど人」

              

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